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「登校しぶり」という言葉自体、時代遅れ!?

新型コロナウイルス感染拡大により、社会情勢が大きく変化しました。特に新型コロナ感染症拡大がはじまった2020年2月頃から、あっという間だったと感じられる方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。Withコロナ時代となっていく中、先生方もまた新しい生徒対応の仕方を模索していく必要があるのかもしれません。一昔前まで「登校拒否」という名前で呼ばれていたことも社会の変化と共に「学校に行かないことは必ずしも悪いことではない」と「不登校」という言い方に変わってきたように、オンライン授業の導入を始め、新しい生活の在り方、教育の受け方を反映して、また「不登校」という概念も今後、変化していくのではないかと推測しています。(そして期待しています。)

ところで、よく学校の先生や保護者の親御さんから「子どもが登校しぶりをしているけれど、どうすればいいのか?」というご相談を受けるのですが、皆さんはこの「登校しぶり」という言葉、どのような印象をもたれますか?私は正直、この「登校しぶり」という言葉が暗に含む「学校に行かないことが悪」というイメージになんだか嫌な気持ちになります。「学校に行かないこと」は様々な出来事の重なりで起きる一現象であるにも関わらず、「登校をしぶる」という子ども本人の行為のみに限定したこの言葉に違和感を感じるのです。勿論、親御さんからすると、子どもが学校に行かないのであればお昼の用意はどうするのか等、特に朝の忙しい時間帯であれば、お子さんの「渋る行為」にもどかしい思いをされることがあると思います。学校の先生であれば、「学校に来てさえくれれば何とかしてあげるのに」という熱心な想いからお子さんの「渋る行為」に目がいくかもしれません。

一方、海外ではホームスクーリングやフリースクール、ミッションスクール等、その子に合わせた教育を受ける場が様々あり、また北欧ではそもそもの教育システムが異なり、決して学力だけで人に優劣を付けないという方針が根付き、多様化された21世紀にはそのような多種多様な教育の在り方に向かうべきだという議論があちらこちらでされています。そういう世界の流れがあることを鑑みると、誤解を恐れずに言うのであれば、私は「登校しぶり」という言葉を使われていること自体、少々、考えや価値観が一昔前の方なのかなと思ってしまいます。「一昔前の価値観で接される子どもも子どもで大変だな・・・」とそっちの方に目が行ってしまうのです。なぜなら、彼らがこれから生きていく社会は親御さんが育ってきた社会と明らかに異なるからです。

このブログをお読みになられて、「そうは言っても、じゃあ具体的に登校しない子にはどう接すればいいのよ?」と思われる親御さんや先生方もいらっしゃるのではないかと思います。その答えになっているかはわからないのですが、私は「登校しぶり」という言葉をもし今もお使いになられているのであれば、「どう接すればいいのか?」という「DO(すること)」のお話をする前に、「登校しぶり」という言葉に違和感を感じない、その価値観(BE)を一度、見つめ直すことの方がより重要なのではないかという気がします。なぜなら、その価値観をもち続けている限り、お子さんと同じ景色を見ながら建設的な会話をすることができないからです。

価値観を見つめ直すには、自分と異なる業界で働く人、世代の人、価値観をもつ人と「不登校」のお話することが大切だと思います。身近に不登校のことを話せる人がいなければ、例えば、N中等部・N高校・S高校さんのように、従来の教育の在り方を一新しようという「彼らが生きていく時代に合わせた教育」をされている学校の説明会などにご参加されてみるのも一つの手かもしれません。

何よりも大切なことは「子どもが登校しない」という目の前の現象を、より大きな視点から俯瞰的に見ることだと思います。「当事者の親からしたら・・・」というお声も聞こえてきそうですが、子どもが登校しなくても健全な会話が出来ているご家庭もあるという事実も知っている分、あえてお話させて頂きました。何かのキッカケになればと願っています。