人を育てることは盆栽を育てることに似ている
先日、何気なく読んでいた本で「人を育てることは盆栽を育てることに似ている」という文を目にしました。盆栽は、まずはその木が太陽の日を浴び、伸び伸びと成長した上で、その木ならでは部分を生かしながら、さらにその木が栄えるように形を整えていくプロセスであると。そもそもの木が育っていない状態であれこれ手入れをしたら、形を整える前にその木は潰れてしまうというのです。「確かになあ」と非常に納得してしまいました。
対人支援や教育関係、そして職場のマネージャー等の部下の育成に携わる私たちは「この人のために」と思って、あれこれやることが時として裏目に出てしまうこともあるということを肝に銘じておく必要があるのかもしれません。自分と相手の関係性を外から見る客観的な目を、自分自身が育てていくことが必要なのだろうと、この盆栽の話を読みながら、改めてそう思いました。
盆栽は一夜にしてならず、ある程度、その木が育ってくるまでは、最終的にどんな作品になるのかわかりません。育っているプロセスの中、すぐに「〇」「×」をつけずに「△」を大切に扱っていくことがとても重要になってきます。脳は理解できないものと同居することを嫌います。不確かなものと同居するとエネルギーを費やさなければならないので、曖昧なもの、理解できないものを拒みたくなる傾向にあるのです。
「不確かなものを不確かなものとして同居すること、受け入れること」
これは、木の問題ではなく、育てる側の懐の広さや器の大きさが問題になってきます。育てる側の私達、大人が「目の前の木をどうすればいいのか?」という疑問をもたれることは至って自然なことかもしれません。一方、「この木は育てる側の自分に何を問いかけてきているのか?」という問いをいつも大切にしたいところです。