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あれこれ考えすぎてしまう人に対して

年齢に関わらず、あれこれと考え過ぎて行動ができなくなる時があります。周りからすると「そんなに深く考えずに動きゃいいのに」と思うかもしれません。悩んでいる本人も頭ではそうした方がいいのは分かっているんだけど、できないから今の状態になっているわけでと、出口が見えなくなってしまっていることがあります。このようにあれこれ考えすぎてしまう時、どのようにすれば次の一歩へと進むことができるのでしょうか?ここでは、身近にあれこれ考えすぎてしまい、出口が見えなくなっている人に対して、どのように接していけばいいのかについて見ていきたいと思います。

ところで、これまで10代・20代の不登校やひきこもりのお子さんを中心に心理支援に関わってきた中、あれこれ考え過ぎて堂々巡りになってしまっている子達に共通して見受けられる「強み」があるのです。それは「知的柔軟性(Open-mindedness/critical thinking)」とポジティブサイコロジーの分野で呼ばれる「強み」です。(まだ研究データとして収集していないので、あくまでも個人的な感想として、関わるお子さんに多いなあという感想に過ぎませんが。)この「強み」は「物事をすぐに判断せずに客観的に見て、色んな角度から見る分析的な思考力」を指しています。これ自体は、状況によって様々な角度から客観的に考えることができる「強み」になるのですが、ある状況でこの「強み」を使い過ぎてしまうと「考えすぎて行動に移すことが出来なくなる」もしくは考えすぎて、思い込みが強くなるため、何をするにしても、次の一歩が踏み出しづらくなってしまう傾向があります。相手のお話を聴いている時に、ちょっと「理屈っぽいな」と感じる時があれば、十中八九、この「知的柔軟性」という「強み」を使い過ぎてしまっている状態といえるかもしれません。(もしくは、自分自身の「知的柔軟性」が相対的に低いために、そう感じてしまっているのかもしれません。)

「知的柔軟性」という「強み」をもつ人はとにかく確証を求める傾向にあります。特に不登校やひきこもりの場合、孤立状態が長く続いてしまうと、学校や職場など、外の世界が不明瞭になってしまうため、確証を得られず、ソーシャルメディアの内容から思い込みが強くなってしまうことがよくあります。本来は「強み」であるはずの「知的柔軟性」を使い過ぎてしまっている状態なのです。

ですから、「知的柔軟性」を使い過ぎて思い込みが激しくなってしまっている人に対しては、その時、「その証拠はあるの?」と是非、問いただして欲しいと思います。「知的柔軟性」を強みとして持つ人は感情面に訴えかけるのではなく、証拠に基づいて動く(色んな側面から見て確証がある方向に動く)傾向にあります。ですから、もし「知的柔軟性」を使い過ぎてしまっている時、「そういう証拠はあるの?」と聞いてみてください。

もし過去の出来事からその証拠を持ってきたとしたら、「1つの証拠はあるのね。他に証拠は?」「1つの証拠しかないのにその結論を導き出しているんだ。他に証拠は?」と、いかに自分の発言に証拠がないかを気づかせてほしいのです。相手が確証を求めている中、「そんなこと絶対起きるはずないわよ」「それは考えすぎよ」と諭したところで聞き入れることはほぼないと思います。「知的柔軟性」を強みとしてもつ人の多くは、自分で考えさせてほしいという傾向があるため、自分で「自分の発言の根拠は果たしてあるのか?」と頭の中で検索させてあげてください。本来、ある状況では論理的に考えることができる「強み」を持った人たちです。その「強み」を活かし、次の一歩を踏み出すためにも「証拠」をキーワードに接して見られるのはいかがでしょうか?