中学・高校生の不登校の親御さんは〇〇してください。
小学校の時は学校に行っていたのに中学や高校に入って学校に行かなくなったお子さんに対して、親御さんはどのような姿勢で接すればよいのでしょうか?外で働いて帰宅すると、ゲームばかりしている、もしくは布団の中で寝ている我が子を見ると苛々したり、怒鳴りたくなるのも無理ありません。ここでは10代の不登校・ひきこもりのお子さんに対して、どのように接していけばよいか、一緒に見ていきたいと思います。勿論、「不登校」と一言でいってもその在り方は様々です。百人いれば百通りの不登校があり、その対応の仕方や進み方も人それぞれ様々です。しかし、こと人間の成長段階において、思春期の真っただ中にいる10代前半から半ばのお子さんと接する上で重要となる姿勢はお子さんが不登校であろうとなかろうと共通するものがあるようです。それは、お子様を「私の子」として接するのではなく、「対等な一人の人間」として接するということ。
私の子どもも別の人間
特にお母さんに多いパターンなのですが、わが身を痛めながらご出産されたお子さんに対して、幼児期から小学校とご自身のことを後回しにして、育児に専念されていく中、無意識のうちに「私の子は私の一部」となってしまう傾向があります。お母さんから産まれてくるため、元々「私の一部」であったことは確かに間違いありませんが、この考え方が中学生・高校生の不登校のお子さんが自立していく上で、非常に「妨げ」になるのです。
なぜなら、本来は自分の一部であるはずなのに、学校に行かずにゲームをしているお子さんの表面上の行動が理解できなくなり、その理由や原因を「全て」知りたいと思ってしまう衝動に駆られ、必要以上に知ろうと、過干渉になってしまうことが不登校のお子さんを抱える母親の「あるある」なのです。この「過干渉」がお子さんの自立、さらには一人の人間の成長を妨げる可能性があることに気づいていないケースが多々あります。
自分自身の内面を他人に知られたくない。これは人間の防衛本能です。特に思春期のお子さんは「私の子ども」から「一人の人間」に成長しています。親御さんも何十年か前にご経験されたように。ぜひお子さんを「私の子ども」ではなく、人格も異なる「一人の人間」として接してください。この姿勢でお子さんに接し始めると、お子さんとの関係性が良好になっていくことがよくあります。
「急がば回れ」とよく言われますが、不登校・引きこもり支援においても、「(私が)早く解決したいので、その理由を一刻も早く把握しなければ」と力めば力むほど、ゴールはどんどん遠ざかります。頭では理解できても、なかなかそう思うことが出来ない親御さんは、この言葉を口癖のように呟いてみることから始めませんか?
「私とあの子は家族だけど別の人間。あの子にはあの子の人生がある。」
最初は不安や心配が強く、そう思えないかもしれませんが「質」より「量」です。心の底から思えなくて構いませんので、この言葉を呪文のように何度も何度も唱えてみてほしいなと思います。